ニュースレター 2020 10月

2020/10/01 ブログ 疾病別ブログ スタッフブログ
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本当の幸せとは何か


(釈尊の言葉)

釈迦族の歴代の聖者たちは、

煩悩(ぼんのう:心身を乱す欲心)の消滅、欲心から離れる生活、心の不死性、を得ました。

コノ世に、これ以上に価値の有るものは無いのです。

この真理の御宝は、いつの時代にも存在しています。

だから、この真実の言葉によって、誰もが幸せになって欲しい。

(原始仏典  釈尊の言葉 スッタニパータ編 第2章1節-No.225)

(感想)

誰もが、「今度こそ幸せに成りたい!」と思って、コノ世に生まれています。
でも、生まれて見れば、その幸せというモノが、
・ お金であったり、
・ 容姿であったり、
・ 物を持つことであったり、

と勘違いをしてしまいます。

本当は、心が幸せになることが、生まれる前の目的だったのです。
どうして、この大切な目的を忘れ、
本当の目的とは違うモノを持つことを、幸せと人は勘違いをするのでしょうか?

その理由は、
・ 皆んなが欲しがるから、自分も欲しくなっただけ。
たったこれだけで、モノを持つことが幸福だと勘違いをしてしまっています。

これの正しさを見ることは簡単です。
・ 幼児の前で、可愛らしい人形と、普通のボールを並べます。
・ 大人が、ボールを取って、大切そうに嬉しそうにボールを胸に抱きます。
・ すると幼児は、人形は放置したまま、大人が胸に抱くボールを欲しがります。
ここに、人間のサガが出ています。

・ 他人が持つモノが、良さそうに見えてしまう。
・ 自分が既に持つモノには、関心が薄れる。
・ 大人になっても、伴侶以外の異性に目が・・・・止めておきます〜。

これは、有名人の好感度の調査にも言えることです。
・ 皆んなが好きな有名人は、更に高感度が、私も好き、私も、と上がって行く。
・ でも、何かで問題が報じられると、私も嫌い、私も、に変わって行く。
・ 誰もが見ていたのは、対象の有名人の良さでは無くて、自分の周囲の人の好みだった可能性。

いや、そんなことは無い。
「他人が嫌っても、私はアノ人が好きだ」
と言う人もいますが、その内心では変わり者だと、自分が言われる心配もするものです。

誰もが欲しがる土地は、褒める場所は、更に欲しくなって値段も上がる。
多くの人が嫌がる場所は、せっかくの良い場所が有っても、避けるのが人のサガです。
本当の土地の価値では無くて、風評で左右される価値観が、コノ世のすべてに貫徹しています。

釈尊は、それは違うんだ、と指摘しています。
このような幻想の価値観では無くて、

・ 煩悩(ぼんのう:心身を乱す欲心)の消滅。
・ 欲心から離れる生活。
・ 心の不死性を心から自覚すること。
これが、生きている間しか得られない、最も価値が高いことだと断言しています。

誰もが欲しがるモノを、それを持つことが幸せだと勘違いをしていないか?
良い自動車に乗りたがるのも、他人からの視線で決めていないか?
既に自分が持つモノを、嫌っていないか?

既に在る、自分の生活に感謝が出来ることが、釈尊が指摘する本当の幸せに気付く第一歩です。
今の自分が持つ容姿、生活、家族や縁者たち、これらが好きであることは、かけがえのない大切で幸福なことです。

もし、自分のすべてが嫌いならば、それでも有り難い点が、生きている限り誰にも在るのです。
これに1つずつ気付いて行くことが、正道と成ります。
失くしてから気付くことは、不幸です。

釈尊の、
「この真実の言葉によって、誰もが幸せになって欲しい」
この熱い思いを読み取って、自分の生活を見て行くことが参考に成れば幸いです。

院 長