ニュースレター 2024 12月号
昭和初期の大横綱に、伝説(レジェンド)といわれる存在の双葉山という横綱がいました。
69連勝という大記録で負けた時に、恩師に向けて打った電報が、
「われ、いまだ木鶏(もっけい)たりえず」
でした。
・ 自分はまだ、木鶏には成れていません。
という意味です。
この木鶏の由来は禅語です。
・ 木鶏鳴子夜(もっけい しやになく)
古代中国の「荘子」の闘鶏を育てる名人の話が原典です。
「木鶏」は、木でつくった鶏(にわとり)のことです。無言を意味します。
「子夜」は、子の刻(ねのこく、深夜12時頃)の時間帯です。
「木で作られたニワトリが、深夜に鳴く」とは、
・ 黙って無言で、
・ 誰もが寝ている深夜でも働く。
・ 人知れず、陰で努力すること。
を意味します。
つまり、
・ 自分が努力していることを、他人に「知って欲しい」「分かってもらいたい」と思う間は、まだまだダメだということです。
多くの人の悩みを観ていますと、
・ 自分は、こんなに辛いのに、家族も誰も理解してくれない。
・ 会社で頑張って苦労しているのに、誰も評価してくれない。
というストレスを感じます。
でもそれは周囲の人にも、そのストレスを本人が持っていることは分かっています。
周囲の人も分かった上で、「まだまだ甘い」「当然だよ」と想いながら気付かないフリをしています。
それは、誰もが我慢して通って来た道だからです。
自分の苦労を周囲に知らしめたいという、今の自分なのか?
これを今の自分に問うことを参考にしてください。
双葉山も、自分はこんなに努力して苦労していたと、周囲に言いたかったかも知れません。
でも、それではまだ真に強い木鶏では無いのです。
大木のように、無言でそびえ立つ存在ならば、戦う前に勝負は見えています。
自分の苦労を周囲に言いたい間は、まだまだな自分の可能性。
どんな苦労も本当に、突き抜ければ、やり切れば、逆に自分に爽やかさが出て来ます。
その時には、しかめっ面で「自分はこんなに苦労したんだぞ!」とは、言う気にも成りません。
むしろ、すべてを黙って、笑顔で居ることでしょう。
何か、皆様の参考になる視点が有れば、幸いです。
院 長