ニュースレター2024 2月
原始仏典のダンマパダ177番に書かれています内容に、
「 他人を褒(ほ)めること、他人に物を分かち合うことを損だと思っているような強欲な人は、天国には行けません。
そういう自分自身の世界に行くからです。
善人は、他人に物を与えること、分かち合えることを感謝し、それを喜びます。
だから、このような善人は、そういう自分自身の世界に行くために、来生は恵まれて幸せに暮らします 」
という内容の言葉が有ります。
要するに、この世では、たくさんの人々が居るように見えていますが、その本質とは、
・ 誰もが、自分だけの宇宙を創りながら、暮らしています。
・ 誰もが、本当は自分一人なのです。
・ 家族や周囲にたくさんの人が居ても、誰もが自分一人の世界を創りながら生きているのが真相です。
釈尊は、これを「天上天下唯我独尊」と言い、人類は全体で「一人」であり、それと同時に、自分という宇宙の中で独りで暮らしているのが宇宙全体の姿だと示唆しています。
宇宙には、星が無数に存在する理由でもあります。
・ 1つの星 = 一人の魂です。
だから、誰もが死ねば、自分自身が今生で創った世界へと帰って行くのが真相です。
他人が創った世界には、行かないし、行けないのです。
いかがでしょうか?
今生の自分が創った世界へと、自分の死後は行く訳です。
それは、どんな世界なのでしょうか?
他人に物を分かち合うことを損だと思っていた自分ならば、自分の死後は、そういう世界です。
他人と物を分かち合える状況に感謝し、それを喜ぶ人は、そういう自分が創った世界に帰ります。
これが真に公平であり、平等な法則が働いているということです。
この世の悪人は、たくさんの善人が居る御蔭で、暮らせるだけのことです。
善人がまったく居ない世界で、はたして悪人は暮らせるのでしょうか?
悪人自身が善行に目覚めない限り、苦しい生活が続くことでしょう。
・ 今日も、今も、誰もが自分の死後に行く世界を創りながら生きています。
このように言われて、
「えっ!? それは嫌だ〜」 ハウアッ!
と思えた人は、大丈夫です。
生きている内に、老後でも大丈夫ですから、「この世に居る間に」どんなに悪い過去の自分の行為が有ったとしても、
・ 他人を褒(ほ)めること、他人に物を分かち合うことを損だと思っていたことを反省し、
・ これの逆の思いと行為が、出来る範囲で少しでも有れば大丈夫です。
・ 死ぬまでに、このように思いを素直に変えることが出来れば、過去は許されます。
このように書きますと、そんな簡単に過去の悪行が免除されるのは不公平だと言う人は居ます。
ところが、悪人は、このような内容を素直に聞くことが出来ないし、思いを変えることが出来ないのです。
だから、素直に生きる間に反省が出来る人は、悪行を相殺する善行も有った証拠であり、生きる間に「気付けた人」は死後も大丈夫です。
と釈尊さんが言っておられます。
皆様の参考になれば幸いです。
院 長