ニュースレター 2023 3月
『座頭市』の映画やドラマを見ていますと、
最近に見た印象に残るシーンは、
農道のかたわらで、ヤクザ者数名が5名ほどの御百姓さんを集めて、サイコロでイカサマ(だますこと)の丁半博打を行い、御百姓さんの持ち金の大半を巻き上げている最中でした。
そこに通りかかった座頭市は、お百姓さんたちが負けが込んで嘆(なげ)く声を聞いて、イカサマ博打にヤラれていることを瞬時に悟りました。
そこで座頭市は、「自分は盲目だが大金を持っているから一緒に打たせて欲しい」と言います。
そして、座頭市は今までに何度も繰り返して来た、ヤクザの更に上を行くイカサマを行い、その場の有り金のすべてを勝ち取ります。
すると怒ったヤクザたちが座頭市に襲い掛かりますが、簡単に退治してしまいます。
座頭市は、その場の有り金のすべてが入ったカゴを御百姓さんたちの前に置き、
「さあ、皆さん。自分が負けた分だけのカネを、このカゴから取っておくんなさい」
と言いました。
御百姓さんたちは、歓喜の声を上げて「有り難い!」と言いながらカゴからそれぞれのカネを取りました。
座頭市は、「御百姓さんたちは大事な御方ですから、もうこんなバクチに手を出しては生けませんよ」と諭(さと)しました。
そして、御百姓さんたちは、その場から飛んで逃げるように去りました。
問題は、この後のシーンです。
一人になった座頭市は、皆が自分のカネを取ったカゴの中に手を入れます。本来ならばカゴは空のはずです。
しかし、かなりのカネがまだカゴに残されていたのです。
つまり、御百姓さんたちは、
・ 自分のカネと言いながら、それ以上のカネをカゴから取れたはずだ。
・ そのカゴの中のカネはすべて、その場に居た御百姓さんたちが出したカネだった。
・ つまり、誰もが、座頭市への御礼に黙ったまま何割かのカネを残して去っていた。
その残ったカネを懐(ふところ)に入れた座頭市が、世間の人々はまだまだ捨てたもんじゃないと感心しながら、その場を離れたシーンが印象的でした。
もしこれが、現代人ならば、カゴにカネは残ったのか?
現代人でも、自分が出したカネ以上をカゴから取る人は、まずいません。
ただ、もし自分が出したカネの金額が、カゴに不足していた場合は、いかがでしょうか?
あなたならば、
(1)これも仕方がないと、これでも御(おん)の字だと、黙ったまま帰るか?
(2)座頭市に対して、私の出したカネの分が足りないと言うか?
(3)または、座頭市に対して、泣き付いて何とかして欲しいと頼むか?
私が心配なのは、今の現代人ならば、キッチリし過ぎた強迫観念で、
一言の(2)番か、
中には(3)番も居そうな気がします。
少なくとも、ドラマの中の昔の御百姓さんたちのように、各人が申し合わせしなくても、自然と数割のカネを残して黙って去ることは無いのではと思います。
私が言いたいことは、現代人は何でも完璧にしないと気が済まない人に成っていないか?
これが自分の心身を弱めて、免疫も落としている原因に感じるわけです。
なので、
「これぐらいで、いいや」
「もしダメでも、まだ御の字だ」
「仕方がない」
という「おおらかさ」を取り戻して欲しいと思います。
座頭市は、自分が気に入った人には、懐(ふところ)から大きなオニギリが入った竹箱を取り出して、「お一つ、どうぞ」と分けて上げます。
そして座頭市は、「うめえなあ」と言いながら口の周りに米粒を付けながら頬張ります。
昔の自分を思い出して、少しでも
「おおらか」に成って頂ければ幸いです。
院 長