ニュースレター 2022 10月
徳川家康の有名な言葉を、現代語に意訳して見ました。
* 人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず (原文のまま)
* 不自由を、常のことだと思えば、何も不足感は無い。
* 心に少し贅沢な望み事がおこれば、自分が苦しかった頃の時を思い出しましょう。
* 怒りを抑えることは、無事に長生きするための基本です。
* だから、怒ることは敵だと思いましょう。
* 人は、勝つ体験ばかりを知って、負ける体験を知らなければ、逆に深刻な害が自分に及びやすいことになるから注意しましょう。
* 自分の周囲で問題があれば、先ず自分自身を反省することです。他人を先に責めては生けない。
* 自分の希望がどうしても叶わない事は、それが叶った場合よりも幸運なのです。
(感想)
どの言葉も真理に合致した内容であり、敬服
を致します。老子の思想にも通じる奥深いものが含まれています。
この内容を読みますと、「徳川家は長く継続するはずだ」と腑に落ちます。
「人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず」
誰もが「自分なりの荷物(因果)」を背中に背負って、生活をしています。
その荷物の内容は、各人で様々であり、その時々で荷物の追加・減少も日々に起こります。
問題は、他人の背中の荷物と、自分の荷物を比較して、不満に思ったり心配をすることです。
また、荷物が無いように見える他人が居ましても、それは周囲には見えない荷物も有ることを知って置いてください。突然に寿命が尽きる、という形で周囲が知ることもあることです。
全員が、必ず荷物を背負って生きています。
生きること=生命力=荷物を背負うことが条件=自分の荷物が自分に命を与えてくれている。
ということが、人の使命感、生きがい、生老病死の人生の観点からも言えます。
荷物の内容は、家族・子供であったり、仕事、不自由なこと、病気、勉強、・・・・個人でテーマが様々です。
どれも「自分を生かす為の」大切な荷物であったり試練であります。
それが、逆に自分に命を与えてくれている側面が人に有ります。
「不自由を、常のことだと思えば、何も不足感は無い」
私達の人生とは、何を基準とするのか? により心の状態も人生も変わります。
多くの人は、他人を見て、それを基準にしてしまっています。そして苦しみます。
特に日本人は、「他人基準」の人が多いと思います。
家康は、「不自由であることがアタリマエだと思えば、後はすべてOKだ」
と言っています。
もし、地獄の中でも笑っている人が居れば、その人は本当に強い人です。
もうどこに行っても、すべて天国だと思えることでしょう。
問題は逆のパターンです。
日本のような国をアタリマエだと思っていますと、外国では危険な目に遭うかも知れません。
また他人を見て、それを理想の基準にしてしまっていれば、自分の生活のすべてが嫌に成ることでしょう。
自分の思い方1つで、人の心は感謝にも不満心にもコロコロと変わってしまいます。
だから本当は、今のこのままでも、人の心は天国に住むことも可能なのが真理です。
「あれが叶えば幸福だ」という思いは、それが実際に叶った時には、新たな別の不満と心配心に囲われているのが人の人生なのです。
だから天国は、今の自分の環境の中に「既に」存在しています。
生かして頂いて 有り難う御座います!!
院 長