ニュースレター 2022 9月

2022/09/28 ブログ 疾病別ブログ スタッフブログ
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この世の真相は、逆が多い

 

 8月9日の長崎市では、原爆に被爆してから77年目となる「原爆の日」を迎えて、平和祈念式典が開かれました。
その光景を垣間見て感じますことは、静か、静寂、ということでした。

無数の犠牲者たちは既に天国へと昇天されており、
ただ、今の日本人たちと、世界を見ておられることを感じました。
笑顔では無くて、でも怒りや苦悶でも無くて、
ただ厳粛な微動だにしない視線を、映像から感じました。

その視線から感じたことは、
・ 戦争体験を知らない人間ばかりの社会になりますと、
・ その痛みと怖さを知らないために、また戦争の芽が出ることに成る。
・ それを天から見ておられる。
このように感じました。

辛さや苦しさを知らない人間のほうが、とんでもない危険を冒す可能性が有るということです。
これと同じ意味のことを、フランスの近代の哲学者・サルトルが指摘しています。

 

・「金持ちが戦争を起こし、貧乏人が死ぬ」

このように看破されています。
つまり、絶対に安全な場所に居て、生涯も心配不要な財産が有り、他人の痛みや苦痛を思いやることも出来ない人間、そして暇な人間たち。
こういう人たちが戦争を起こす危険性が最も高いことを、サルトルは短い言葉で揶揄(やゆ)しています。

その死後は、天国には決して行けないことを、なんとなく自らも自覚するために、
・ 死後の世界を絶対に認めたくない。
・ 死んで全てが終わると、信じたい。
・ もし天国が本当に有るならば、罪の意識で楽しめない。
・ だから、死後の世界に関する公的な情報を、すべて消して行く。
このようにも感じます。

でも、これを逆に考えますと、
・ 今が辛い人々。
・ 生きることが苦しい人。
・ 未来が不安な人。
・ 苦労している人、厳しい病気に罹っている人。

こういう人々は、まさにイエス・キリストが言われたように、
「幸いなる人々である」
「幸運な人々である」
「天国が約束された人々である」


もし今の自分が辛ければ、
・ これは天国への切符かも知れない。
・ これを正々堂々と、ズルをせずに、受け切ってやろう。
・ この苦労の御蔭で、真の大難が避けられるかも知れない。


このような視点で、苦しい自分を見ることを参考にしてください。

この世での絶望は、それでも自分が良心に沿って最後まで生きたならば、天国に近付く。

真面目に生きても起こる苦しみは、天国への切符である。

あの世での財産と変わる。


こういう視点も有ることを知って頂ければ幸いです。

長崎と広島の、そして全ての戦争被害者の方々のご冥福を、心からお祈り致します。

 

院 長