ニュースレター 2022  2月

2022/02/01 ブログ 疾病別ブログ スタッフブログ
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一休禅師の言葉に
人生には様々なことが有ると、私達は思っていますが、

(1)世の中は 起きて箱(便所)して 寝て食って 後は死ぬを 待つばかりなり。

このように一休さんは、人生をとても大きな視点から看破(かんぱ:みやぶること)しています。
私達は、様々な喜怒哀楽をしながら、様々な心配をし、苦労をしていると思い込んでいます。
でも、人の人生の全体を通して観ますと、

様々なことは、過ぎ去って行くことばかりです。
年月が過ぎれば、段々と忘れ去って行きます。

ただ、生まれてから死ぬまで、人がしていたことと言えば、
毎日、朝に起きて、トイレをするか、食事をするか、寝るか。
そして、病を得て死を待つ過程。
これが人の人生に共通した内容です。
貧富の差も、立場も何も関係なく、すべての人間に共通したことです。
でも人は、その行為の間の、「余白の時間」に真剣にこだわり、悩み、時には生死
を懸けてしまいます。

若い頃は、
「いいや、その余白の時間の内容こそが大切だ!」
「余白の内容こそが人生だ」
「余白の時間の経験、異性、モノ、カネ、ハラハラ・ドキドキこそが人生だ」
と思い、その内容の善悪、大きさ、にこだわります。

でも、そのどれもが、瞬間的に終わって行くか、いずれ手放すことに成ります。
そして思い出と成り、忘れて行くことばかりです。
そして、それでも残っていることが、
・ 起きて箱(便所)して 寝て食って 後は死ぬを待つこと。
これが人生の最後まで継続します。

すると、禅というのは、若くて元気な内から、様々な余白の時間が在る内から、
・ 起きて箱(便所)して 寝て食って 死を冷静に見つめる生活。
これを「作務」(さむ)として、徹底的に見詰めることを修行とします。

便所での尻の拭き方も含めて、真剣にその行為の最善、最短、単純化、清潔を目指します。
食事も、料理を作ること自体を、その食材との真剣な最後の一期一会の機会・縁として極めます。

つまり、「人生の余白の良し悪し」にこだわるよりも、最初から人間に共通した基本から目をそらさずに、それを大切にします。

今回言いたかったことは、
仕事や、家庭の問題、学校のこと、様々な問題や心配事は実際に有ります。
もし、これらに行き詰まり、もう限界かも知れないと思った時は、

世の中は 起きて(自分の仕事) 箱(便所)して 寝て 食って。

この行為を大切にして欲しいのです。
この基本を大切にしていれば、
様々な余白時間の物事は過ぎ去り、
すべては必ず変わって行きます。

すべての幸運も、人生も、この行為から生まれます。
そして誰もが、この行為と共に最後まで行きます。寝たままに成っても、この行為が在ります。


そして、最後にもう1つ、一休さんの言葉に、

(2)欲得を捨て、足りることの喜びを知るところに、悟りが開く。

人は、現状の中でも、現状のままでも、
それが非常に「有り難い」ことが心底から分かれば、
もう二度と無いほど「有り難い」ことが真剣に分かれば、
悟るのです。

誰もが、輪廻転生(生まれ変わり)を経た上で出現した、現状を体験しています。
すべては、自分のために、自分を身軽にするために、現状が出現しています。
自分が身軽になるためのチャンスを得ていることが、生きている最中は分からないという勿体なさが在ります。

 

着る服があって、雨露しのげる家に住めて、三度の飯が食える事に感謝ですね。

できない人が世界中には五万といますよ!!


生活の基本を重視して、頑張って生きることが参考に成れば幸いです。

 

院 長