ニュースレター 2021 8月
「コロナ」も「ワクチン」も「オリンピックが日本で行われること」も、今、偶然になったのではなく、何か深くつながってるような気がします。
おそらくこのオリンピックやパラリンピックが終わってから、「日本や世界の動き」は大きく変わっていくことでしょう。
でも世界が駄目になったり、不幸になる訳ではありません。
未来を占う意味でも、おそらく今日から1週間が、2021年の山場となる「ターニングポイントの週」となることでしょう。
このオリンピック、パラリンピックがきっかけとなって、「素晴らしい世界」になって欲しいですね・・。
話は変わります
青森県に伝わる昔話に、こういう話が有るそうです。
昔むかし、ある所に信心深いお婆さんが居ました。
でもお婆さんは、とても貧乏でした。
お婆さんは、毎日、近くの御寺の阿弥陀様
にお参りに行かれました。
「地獄では無くて、天国に行けますように」
これが、お婆さんの願いでした。
お婆さんは、必ずお賽銭を「チャリン」と賽銭箱に投じるのですが、そこのご住職が後で確認しますと、お賽銭が入っていないのです。それも毎回です。
ある日に住職が、阿弥陀様の裏側からお婆さんを観察していました。
すると、お婆さんが投げる御金の穴には糸が結び付けられており、お参りした後にお婆さんは、その糸をたぐり寄せて、阿弥陀様に「ごめんなさい」と言って、ポケットに御金を戻していたのです、笑。
それを見た住職は怒って、お婆さんを懲らしめるために寺の池に落とそうと工作をするのですが、結局は怒った住職の方が池に落ちたという民話でした。
最初にこの昔話を読んだ時に、何とちゃっかりしたお婆さんだと思いましたが、よくよく考えて観ますと、
・ 神社でも、お供えして奉納し、感謝や希望を祈願した後は、そのお供えを参拝者は頂いています。
・ または、自分たちがお供えした御金に相当する物を、参拝が終われば頂いています。
お婆さんも、同じことをしているとも、大目に見ると言えるかも知れません。
神仏は、御金も物も使わないから不要です。
御金や物を欲しがるのは、神仏の周囲に居る人間なのです。神社や寺を維持するための費用は理解が出来ますが・・・・。
今回の言いたい話はここからです。 パチ パチ パチ ~
御金に糸を結んで戻していたお婆さんには、バチが当たらなかった。
それを怒った住職にバチが当たった。
それは、なぜでしょうか?
ここから感じますことは、「自分なりの精一杯」ということなのではないでしょうか。
お婆さんは、本当に貧乏だった。
その糸で結んだ小銭は、お婆さんの全財産に近いものだったかも知れません。
それをもし、毎晩に晩酌をするような余裕がある住職が怒った場合、神仏はどちらの味方をするのでしょうか?
・ 多くの人は、他人と自分を比較して、何かが出来ない自分をダメだと思い込んでいます。
・ でも大切なことは、本当に真面目に「自分なりの精一杯」をしているならば、何かが出来なくても、神仏はそれを許してくれるのではないでしょうか。
比較する対象は、出来る他人では無い。
自分が、本当に自分なりの精一杯をしたのか?
自分なりの誠(まこと)一杯にしているのか?
比較するべき相手は、本当の真面目な自分だということです。
自分なりの全力を本当に尽くしたならば、その結果の善悪は関係なく、すべては死後に本当に大切なことが大丈夫に成ります。
それは何か?は、考えずに、行けば分かるさ!!
皆様の参考に成れば幸いです。
院 長