ニュースレター 2020 7月
自分の心を、過去にも、未来にも、飛ばさないことが大事!
人が苦手にすることは、
・時を待つ、ということ。
・流れを冷静に見る、ということ。
これが出来ない人が多いようです。
これは人間のサガ(本性)にも関わることであり、
・連載マンガの次を読みたくて、読みたくてウズウズすること。
・連続ドラマの次を楽しみにすること。
・推理小説の犯人を早く知りたくて、先に結末を読むこと。とにかくまだ来ない明日・未来を知りたがる癖があります。
さらには、大切な家族ほど、大事なペットほど、
・いつまで生きることが可能かを知りたがります。
・その死ぬ時期を、先に知りたがります。
会社にしても、いつまで持つか? を先に知りたがります。
受験にしても、合否をかなり前から知りたがります。
いかがでしょうか。つまり、人間の悩みの多くは、
・先を知りたい病だった。
・時間の経過を待ちたくないサガが、悩みの原因とも言えそうです。
今という中に、居ることが出来ないことが大問題なのです。
今という貴重な瞬間の中に住まずに、心は常に、
・過去の出来事に飛ぶか、(後悔)
・未来の中に心が行っています。(心配・不安)誰も、今という中に居ません。
でも、安心や幸運とは、心身共に今の中に住むことで、見えて来るのです。
今の自分を見ることで、どうすれば良いのかが正しく見え始めます。
時間経過も待てない。心ここに在らず。
これでは、行きあたりばったりに成るのは当然です。
不幸・不運にも遭いやすいことに成ります。
多くの聖者の発言に共通することは、
・ 今の中に住むこと。
・ 今の中にしか、永遠性は存在しない。
(心が過去や未来に飛ぶと、それは限定された世界の幻に過ぎない)
今という瞬間瞬間を大切に生きることが、心の安心を呼びます。
まず始めることは、
・自分の心を、過去にも、未来にも、飛ばさないこと。
これを継続させれば、
・どうすれば良いのか、が見え始めます。
・自分が気付けなかった「有り難い事」が分かり始めて、それを失くさないように事前に動けます。
このような事を心掛けることを参考にして頂ければ幸いです。
古代中国の賢者・孔子(こうし:紀元前551年‐紀元前479年)の言葉に、歩みを止めることさえしなければ、どんなにゆっくりでも大丈夫!!
どんな物事でも、早く終えたいと、思わないほうが良い。
物事を早く仕上げることばかりを望むと、何事も未完のままである。
このような内容の発言があります。
今の社会では、家で待機をしながら、多くの人が、
「もう辞め時か」「続けるべきか」「溜まった仕事に嫌に成る」
と、悩んでいる方もいらっしゃるのでは?
でも、どんなことも、ゆっくりで良いから、まずは継続して見ることが大切ではないかと思います。
そして、
そのゆっくりとした継続の中で、新規の今の状況を色々と体験しながら、その上で判断して行けば良いと思います。
何も新規の今を体験せずに、家で沈思黙考(ちんしもっこう:動かずに黙ったまま深く考え込むこと)したままの脳内で、先行きを決めないほうが良いと感じます。
・実際に体験しながら、先行きを考えること。
・ゆっくりと再起動をさせる中で、判断をする。
・思考よりも、実際に体験して見てから、決めていく。 これが大事に思います。
人間は、体験をする前に、ムダをしたくないからと、
思考だけで最善を選択したいと思うものです。
でも、これが最も遠回りの選択をさせたり判断を誤らせるそうです。
何事も中途半端(未完)のままに終わってしまう原因であるようです。
遠回りに、ムダに、思えるとしても、
・体験してから決めること。
・体験しながら、方向性を考えること。
・「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」(ダ〜〜ッ!)
(清沢哲夫の詩「道」)
どこかで聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか。プロレス好きな人はなおさらのことでしょう。そう、アントニオ猪木さんが引退式で詠んだ詩です。実はあの詩は、この清沢先生の「道」が元となっているのです。聞けば不思議と元気が出てくるような、背中を押してくれるような、そんな魅力あふれる力強い詩です。
先入観を生みやすい思考(自我・自分中心の思い)よりも、
無思考(素直な子供のような視線)での実体験が、最善、最短、行くべき方向、正しいことを教えてくれます。
皆様の参考に成れば幸いです。
院 長